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時計界を牽引するパテック フィリップ革新の歴史
帝政ロシア統治下のポーランドから、圧政を逃れジュネーブへ亡命した将校アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、この地の時計製造に強い関心を示し、時計師フランソワ・チャペックとの出会いから1839年にパテック チャペック社を設立。これがパテック フィリップ社の前身となる。5年後の1844年、パリの時計師、ジャン・アドリアン・フィリップが、従来の鍵巻き式に代わり、リューズでゼンマイ巻き上げと時刻合わせが可能な革新的な懐中レプリカ時計をパリの産業博覧会に出品し銅メダルを受賞。彼を新たなパートナーに迎え、1851年にはパテック フィリップ社に改称する。同年、第1回ロンドン万博にこの機構の懐中時計を出品し金賞を受賞。ヴィクトリア女王へ献上の栄誉にも浴している。以降、永久カレンダー、スプリット秒針クロノグラフ、リピーターなど先進機構を次々と開発。工芸性の高い外装も世界の上流階級の心を捉えていく。 世界恐慌後の1932年、文字盤製造会社を営むシャルルとジャンのスターン兄弟に経営権を移譲。以降、スターン家のファミリービジネスとして、アンリ氏、フィリップ氏、そして現在のティエリー氏が代々社長を継承。フラッグシップのひとつ「カラトラバ」のルーツ「Ref.96」が発表されたのも、スターン家が経営を担い始めた1932年のこと。翌1933年には、ニューヨークの銀行家ヘンリー・グレーブス・ジュニアの依頼で超複雑な懐中時計「グレーブス・ウォッチ」を製作。他の追随を許さぬ複雑機構製作の伝統は、創業150周年を迎えた1989年の「キャリバー89」、2000年の「スターキャリバー2000」などへと受け継がれていく。


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